« 『刑法』(オンライン・ポーカーと法律) | トップページ | 『偶然の輸贏(しゅえい)』他、判例(オンライン・ポーカーと法律) »

2004/12/20

『本罪の本質』判例(オンライン・ポーカーと法律)

●『本罪の本質』
 最高裁判所大法廷判決昭和25年11月22日・最高裁判所刑事判例集4巻11号2380頁「賭博・富籤罪は風俗に対する罪であり、他人の財産権をその意に反して侵害するのではなく、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、勤労の美風を害するばかりでなく、副次的犯罪を誘発し、または国民経済の機能に重大な障害を与えるおそれすらある点に処罰根拠がある。」(「新・判例コンメンタール 刑法5 罪(2)」三省堂)


 昭和25年という戦争直後の混乱期において、ギャンブルの客側に対しては「ギャンブルで時間を費やすよりはまじめに働きなさい」ということなのでしょうし、ギャンブルの主催側に対しては「生産性のない消費型の事業は社会に貢献しないのでやめなさい」ということなのでしょう。「娯楽に興じるのは罪」と多くの日本人が抱いている感情が、いったいいつ刷り込まれたのかは分かりませんが、それを補完する判例であるとは思います。

 娯楽と日本人の関係を見ると、本音としては娯楽に興じたいが、世間から後ろ指を差されるのは嫌だ、と感じている人が多いようです。そして、事の良否の判断を個人で行なうよりは、環境にゆだねることが多いようです。ギャンブルに当てはめれば、ギャンブルをして破産するということは本来個人の責任なわけですが、それを「ギャンブルができる環境があることが悪い」とすりかえる人が多い、ということです。
 娯楽ではありませんが、株は一種のギャンブルです。娯楽性が低く射幸心をあおるものではありませんが、現実には株で破産し生活が成り立たなくなる人はいます。しかし、株で破産する人が出ても、個人の株取引を禁止する法律はできません。それどころか、近年は個人の株取引を推奨する動きが強まっています。
 豊かな経済社会を構成するには、資金が流動することが重要です。しかし、近年は物あふれの時代になっており、生産-消費の形態だけでは十分な資金が流動しなくなっているのが現状です。だから、個人資産を金融市場という表舞台に登場させることが、個人の株取引を推奨することにつながっているわけです。
 同じような考えで注目されているのが、サービスに対する消費です。その個人資産消費型サービスのもっとも大きな市場が娯楽サービスなのですが、その娯楽サービスも頭打ちの状態にあります。ギャンブルという娯楽は、その頭打ち状態を打開するだけの効力が期待できるわけです。戦争直後は社会に貢献するとは判断されなかったギャンブルが、現代社会で経済的には要求されています。法律も時代に追いつく必要があるのではないでしょうか。
 しかし日本においては、(パチンコを除く)ギャンブルが世間的に娯楽と認知され、社会に必要なものと理解される日が来ない限り、賭博法が改正されることは難しいでしょう。日本で暮らす以上、この時代遅れな(しかし、日本人にとって有益と判断される)法律に従わざるをえないことは残念なことです。

|

« 『刑法』(オンライン・ポーカーと法律) | トップページ | 『偶然の輸贏(しゅえい)』他、判例(オンライン・ポーカーと法律) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55806/2321777

この記事へのトラックバック一覧です: 『本罪の本質』判例(オンライン・ポーカーと法律):

« 『刑法』(オンライン・ポーカーと法律) | トップページ | 『偶然の輸贏(しゅえい)』他、判例(オンライン・ポーカーと法律) »